お雛様

2年前、日本へ出張でいった時に娘へのお土産で買ってきた、小さな小さなお雛様です。何気なく立ち寄った雑貨屋にちょこんと飾られていました。目が止まってすぐに買いました。香港に戻ってお土産だよと言って渡した時に娘が喜んだのを覚えています。

今、娘は嫁と一緒に新型コロナウィルスを避けて日本に帰省中です。日本では嫁から久しぶりにお雛様を出したよと写真付きで連絡がありました。香港でも出してるよって同じように写真付きで返信したところでした。毎年必ずお雛様は箱から出してあげないと娘がお嫁さんにいけなくなると聞いたことがあります。新鮮な空気をすって心なしかいい顔しているように見えるでしょう?ラグビーとは関係ない日記ブログでしたぁ〜(ˆˆ)

Around 4 years ago.

Facebook の機能で以前投稿した写真や記事を思い出として思い起こしてくれる機能がりますね。思いがけなく懐かしい写真が現れてその当時のことを思い出させてくれます。これは娘が8歳か9歳の頃の写真です。ボールを持って走っている姿にとても嬉しく思ったことを思い出します。当時は試合になっても、なかなかボールにふれることも出来ずに試合が終わってしまうこともしばしばでした。「ボールに触れんかった」とポツリとこぼしたこともありました。そんな試合が続いていた中でやっとボールを持って走っているところを写せたのでした。親バカですね(笑

この当時はちゃんとヘッドキャップも被っています。今は絶対に被りません。被らない理由を聞くと髪の毛がグシャグシャになって嫌だと言っていました。でも本当の理由は、ヘッドキャップを被るとまん丸い顔がより強調されるのがすごく嫌だったそうです。つい最近、理由を教えてくれました。あはは(笑

今、香港は新型コロナウィルスの影響で学校は休校状態、政府機関も制限付きで業務を行っている状況です。当然、ラグビーはじめ他のスポーツ関連のイベント、試合や練習など含めてすべてクローズです。一日でも早く子供達が笑顔でスポーツできる状況に戻ってほしいものです。頑張れ香港!

MOTORINO PIZZERIA

MOTORINO は、香港サイドの湾仔とSOHO に2店舗あって、私がいつも行くのは湾仔店。日曜日の3時過ぎ店に入ると奥のほうのテーブルに1組のみ。顔見知りのスタッフも今日はおやすみのようだ。新型コロナウィルスの影響もあるのか?お客さんが以前きたときよりも少なく感じる。

 

 

 

いつも注文するのはペロー二ドラフトビールとマルゲリータ。オーダーするとすぐにビールを持ってきてくれた。そりゃそうだ他に新規の注文は入っていなさそうで、フロアースタッフもヒマそうにピザの準備をするスタッフと何か話をしていてる。

 

しばらくスマホを見ながらまっていると「チーン」とピザが焼けたことを知らせる呼び鈴がなった。はいマルゲリータと笑顔でテーブルまで持ってきてくれた。イヒヒと心の中で二マッとしながら、焦げ目のついたミミの部分を持って持ち上げてパクリ(ˆˆ) あぁ〜美味い!

 

 

 

ラグビーとは関係ない香港のイラリアンレストラン MOTORINO のご紹介でした。お勧めですよ。是非、一度ご賞味あれ(ˆˆ)

Discovery Bay の休日 (^^)

久しぶりに家族で Discovery Bay に行ってきた。香港で起きているデモの影響もまったくないところで久しぶりに2人でランチしました。ももかの12歳のお誕生日を祝って!私は決してナルシストではないんですが、そんな風に見えてますかね(笑
俺って意外と足長くねぇ?

BISTECCA

前日の16日(土)は、セントラルでシーフードランチブッフェ at BISTECCA
ももが、カニのブッフェを食べたことを覚えてて強いリクエストで行ってきました。
12歳のお誕生日を祝って!
ついでにSOHO行って記念写真をパチリ!

涙の種類

ワールドカップの予選プールでみたニュージーランドと南アフリカ戦のあと、私の後ろでスプリングボクスのモスグリーンのジャージを着て泣いていた青年の涙は悔し涙だったのだろう。20日の日本代表と南アフリカ戦が終わった時に自然と流れた私の涙はどんな涙だったんだろうか?2015年、夜中に勝って流した涙とは明らかに異なる種類の涙だったと思う。静かに、そして感謝の気持ちから流れた涙だったと今、振り返って思う。

少し余談になってしまうが、日本と南アの試合の前に行われたウェールズ vs フランス戦、この試合で危険行為でレッドカードを受けて途中退場したフランス代表のロック、セバスチャン バハマイナ(SEBASTIEN VAHAAMAHINA)のことが気になって仕方が無い。寂しげにロッカーに引き上げる後姿がパブリックビューイングの大画面に映し出された時、何故だか胸が痛くなった。彼の気持ちを思って涙が出そうになった。やった行為は決して許されるものでは無い。レフリーの判断は正しいと思うし、翌日のフランス代表HCのコーチのコメントも潔かった。ただ、彼自身の気持ち、きっととんでもなく後悔しているだろうその気持ちを推し量ると今でも胸が痛くなる。つらいだろうな、一人で可哀想に。。。そう思ってしまう。次のフランス大会には胸を張って戻ってきてほしい。そう思う。

さて、題名の「涙の種類」とは話はそれますが、明日から私自身の香港での2019-20202シーズンが始まる。実はシーズンはすでに3週間前に始まってはいるのだけれど、出張が重なったことと香港のデモの影響と対戦相手のメンバー不足による不戦勝という戦績で、明日は私自身にとってのシーズン開幕戦というわけだ。昨シーズンの開幕戦では約30年ぶりにトライすることが出来た。明日はその時の開幕戦と同じピッチでの試合だ。トライなどとたわけたことは考えず愚直にディフェンスとスクラムに集中する。そして怪我をしませんように神様宜しくお願いします。

香港で今

私が住んでいる場所は香港の東側、将軍奥という場所です。日本領事館からメールで提供されていた注意情報どおりデモ行われていた。住んでいるマンションは駅ビルの上層階だ。駅の改札からエスカレータをあがった2階にはスターバックスがある。10時半過ぎ、まさかと思って見に行った。オープンテラス席は無残にも荒らされ放題だった。レジのパソコンの画面はひび割れていた。同じフロアーにある元気寿司、吉野家、優品360といった中国系のオーナーの店は軒並み呪撃されていた。中国銀行も例外ではない。

 

1階部分から赤色灯とともに警報音が聞こえてくる。もしやと思って改札へエスカレータを降りていくと改札前のシャッターが降りている。

数人の香港人の大人がスマホで写真を撮っている。改札横のバスターミナルの入り口から駐車場を抜けて大通りに出てみることにした。大通りにでる手前の駐車場の脇で黒いマスクに黒いTシャツの若者数人とすれ違った。少し怖さも感じた。黒いマスクで隠されていて表情はわからない。通りに出る手前から「ガァーン、ガァーン」と不定期に大きな音が聞こえていた。なんなんだろう?みると2車線の大きな交差点が黒い服装の若者たちで覆い尽くされていた。

ちょうど交差点の中に少しスペースができていて、その中で二人の若者が鉄の棒で信号機を破壊していた。鉄の棒を振りかぶって頭上にある信号機を叩き壊している。残っている信号機を叩き落とすと周りから歓声があがる。「加油!加油!」の声に混じっていろんな掛け声がいたるところから湧き上がる。香港に自由を!きっとそう叫んでいるんだろう。ここに集まった若者はいったい何を思って集まっているのだろうか?しゃがみこんでスマホを見入っているものもの横で必死で呼びかけるものもいる。鉄の棒で信号機を壊す様子をみて拍手するものもいる。深夜のコンビニの前に集まる若者のようにも見えた。

私の住んでいるこの地域は中心部からは少し離れた住宅街だ。郊外にできたショッピングモールを中心に開け始めたところで田舎要素もあるところだ。にも関わらずこれだけ多くの若者が集まって政府に対して抗議の声をあげる。

私が駐在員として香港にきたのは2008年1月だった。11年前には街中を歩いていても中国の標準語であるマンダリンを聞くことは少なかった。それが今は街中をあるいていてすれ違いざまに聞こえてくるマンダリンがなんと多いことか!香港の人口は700万人だ。そのうちすでに約300万人が大陸からきた中国人だそうだ。

日本のテレビ局が香港の今を特集で報道していた。その中の街灯インタビューで親中派(中国を支持する香港人)のおじさんが答えていたいた言葉が印象的だった。「自由は食べられない」日本のテレビ局が向けたマイクに向かって力強くそう言ってのけた。香港が変わっていく。

デフラグビーの優しくて強い男たち

7月30日、午後7時過ぎ私は King’s Park のベンチにひとり座って彼らの到着を待っていた。メインピッチではタイガースのファーストの選手たちが練習の前のストレッチを始めている。ビールを半分くらい飲み終えたころ、数人の間違いなく日本人と思える男たちが周りをキョロキョロしながら近づいてくるのが見えた。胸に「三機工業」というスポンサー企業のロゴマークが入ったトレーニングジャージを着ている。間違いない、彼たちだ。聴覚障がい者ラグビー7人制日本選抜チーム「クワイエットタイフーン」の選手たちだ。
明日の香港との国際親善試合に参加するためにこの日、香港に到着したばかりだ。先頭を歩いてきた青年に「キャプテンの大塚さんは?」と声をかけた。正直に言うと、実は私は声をかけるのを一瞬躊躇した。彼らが「Hearing Impaired(聴覚障がい者)」であることを知っていたからだ。
すると「後ろから来ています。」と教えてくれた。確かに少し聞き取りづらい印象は受けたが、普通に意思疎通が出来たことに少し腰を折られた気がした。すぐに大塚キャプテンが来てくれて「渡邊さんですか?ありがとうございます。」と顔をくしゃくしゃにした笑顔で挨拶をしてくれた。周りにいた他の選手たちは「誰やろっ?このおっさんは、ビール飲みながらキャプテンと挨拶なんかしてるし???」といった様子で見ていた。そりゃそうだと後から思った。香港との親善試合の前日練習グランドで知らないおっさんとキャプテンがなんで知り合いなんやろ?と不思議がるのも無理はない。

聴覚障がい者ラグビー国際親善試合、このイベントが King’s Park で行われることを知ったきっかけは、私が所属する香港日本人ラグビーチーム GaiWu Blossoms の兄妹チームの Christy から届いたメールだった。31日朝9時からだから応援に行ったら?というものだった。そこには、Japanese Deaf Rugby against Hong Kong Deaf Rugby team  と書いてあった。すぐにネットで調べてみるとすぐにそのページは見つかった。「Equal through Rugby」スローガンを掲げて笑顔でうつる選手たちの写真とともに歴史や活動内容が書かれていた。その中に確かに「Hong Kong tour 2019」というタグがあって内容を確認すると確かに31日に親善試合とタッチラグビーのエキシビションマッチへ参加するという情報が書いてあった。すぐに「お問い合わせ」のタグからメッセージを送信した。香港在住で日本人ラグビーチームに所属していること、そして、31日は必ず応援に行きますと!翌日になってメールの返信が届いた。その返信メールをくれたのがキャプテンの大塚さんだった。ホームページには遠征のスケジュールも開示されていて、30日に日本から移動して13時に香港着、19時30分から練習することがわかった。練習場所までは書いてなかったのでが、きっと King’s Park だろうとヤマを張って待っていた。それが冒頭の話です。

練習を見に行こうと思った理由は、彼らはどうやって試合中にコミュニケーションを取るんだろう?それを実際に見て確かめたかったのです。練習を見ていて思ったのですが、彼らの練習風景をみていて思ったのは、よくコミュニケーションをとっているなということです。会話の基本は当然ですが「手話」です。練習前の少しの時間や練習が始まってからも常に会話しているように見えました。それからとても印象深かったのが意思疎通をはかる能力がとても高いんじゃないかということです。それは各自が周りの次のプレーを予測しての動きなのか?経験から身についた自然な動きなのか?直接聞いたわけではないので、私の勝手な推測でしかないのですが、確かに間違いなく選手それぞれが周りを認識して動いているように見えたのです。それは目から入る情報と肌で感じる振動情報を敏感にキャッチしているのかもしれないなと思ったのです。実際、トレーナーさんが手を大きく叩くとみんながそれに反応します。音として認識するのではなく振動として認識しているのかな?と思ったのです。1時間ほどの練習を見学させてもらって自分の疑問をスッキリさせて、ストレッチしている選手たちに挨拶をしてピッチを後にしました。

朝、天気はどんよりとした曇りというか霧雨状態。スマホで香港気象台の予報を見てみるとすでにシグナル3が発令されてた。それでも傘を持ち歩くのが嫌いな私はいつもの香港みたいに午後からカンカン晴れになるんじゃないかなぁと思いながら、でも一応折り畳み傘をもって家を出た。最寄のジョーダン駅について階段を登って地上へ出てみると朝みた曇り空が少し明るく見えて、雨は降っておらず自分の信条を曲げて傘を持って来たことを少し後悔した。グランドでは香港チームとレフリー、デディカル、大会の関係者たちが準備を進めていた。国際親善試合と言っても手作り感のある大会だ。現在、アジアでこのデフラグビーを実際に行っている国や地域は日本と香港だけらしい。発起人の長田さんによると日本でも15人の選手が揃えられないというのが実態だそうだ。その意味ではセブンスというカテゴリーはオリンピック競技でもあるし合っているかもしれない。今回の大会に向けて選抜された選手たちは普段は関西と関東で別れて住んでいて、個別で練習をしているそうだ。監督の落合さんによると今年の3月から毎月合宿をしてチームを仕上げてきたそうだ。今回の香港との親善試合をひとつのきっかけとして聴覚障がい者ラグビーの輪が大きく広がっていくことを願うばかりだ。

選手たちアップを終えて合わせの練習を始めたころ小雨が降り出した。と同時に香港気象台が12時から2時の間にシグナル8を発令を検討していることがわかった。シグナル8が発令されると香港の学校や公共機関、店舗など全てがクローズされる。当然、ここ King’s Park も例外なくクローズされることになる。よりによって台風も今日の親善試合に合わせて来なくてもいいのに。。。
10時45分、第一試合が始まった。雨はどんどん激しくなっていく。とんでもない豪雨になったり、でも一瞬小降りになって空が明るくなりかけてまた豪雨、そんな最悪のコンディションの中、選手たちは一生懸命に走っている。グランドの上からビデオ撮影しながら見ているとデフラグビーであることを感じない。一人一人が周りを常に意識して手や目を使ってコミュニケーションを取りながら組織として相手と戦っている。それは香港のチームを同じだ。感動した。できればもっといい天気のもとで試合ができていればと思った。3試合ともにクワイエットタイフーンが香港を圧倒して勝利した。今回の親善試合を第一回と位置付けており、香港チームとは今後も定期的に開催していくを約束したとキャプテンの大塚くんが試合の後に話してくれた。記念すべき大会に少しではあるけれど関われたことをとても嬉しく思っている。別れ際に選手みんなが握手をしてくれた。そして口々に「ありがとうございます。」と言ってくれたのがはっきり分かった。この時私は彼らの計り知れない「優しさと強さ」を体いっぱいに感じていた。なんとも不思議な感覚だった。こちらこそ「ありがとう」と心から思った。また、来年香港で会おう!聴覚障がい者ラグビー7人制日本選抜チーム「クワイエットタイフーン」

日本聴覚障がい者 ラグビーフットボール連盟ホームページ:https://deaf-rugby.or.jp/

ルーク

2018-2019 シーズンが終わって久しぶりにルークにあった。South China Tigers の試合であったのが最後だから2ヶ月ぶりくらいかな?ルークは一回り大きくなっていた。デカッって感じだった。昨シーズンのMVPにも選ばれて、いいシーズンになったと思う。でも今時点で日本でプレーする機会はまだない。バンコクで買ってきたペアの帽子を被って喜ぶルークとイシカを見ているとこっちまで嬉しくなってくるわ!
ちっと気になるニュースをネットで見つけた!ラグビーのプロ化構想を清宮副会長が発表した。2021年からのスタートを検討しているらしい。ルークが日本でプレイできる可能性が広がってくれるといいなぁと思う。
ニュースのリンクはこちら:https://www.sanspo.com/smp/rugby/news/20190728/ruo19072821110005-s.html?fbclid=IwAR0Dd5yOv7ctRiawaHFSRMQDs-sd9aPSDPYNs-sAg2L6P5tms1qVUY-sxu8

Panashと火力発電とだいもん

「Panashと火力発電とだいもん」何のことかな?と思われるかもしれないけど、分かる人には分かるはず。昨シーズン一緒に戦った仲間が日本へ帰任することになった。しかも二人も!戦力ダウンでチームとしても痛い。一人はパン屋さん、もう一人は発電所マン!パン屋の思い出はミラーサングラスと多かった試合途中の怪我でのリタイアかな(笑、発電所マンはというと会社に嘘ついて試合に来てた事とチームを救ったギリギリのところでタックルかな(笑 でも実際のところ昨シーズンと比べると5人もバックスが抜けてしまった。やす、オギャン、松本、パン屋と現場監督、バックスの最年長の浅田が困ってた。毎年のことだけど、寂しいもんだ。年末の AJRCでは GaiWu Blossoms として参加してくれるだろう。それもまた楽しみだ。ふと思う、こうして人と人とが「ラグビー」をとおして繋がっていく、もしラグビーがなかったら決して知り合うことはなかっただろう二人。帰任するのは仕方ないけど、またいつか会えることを楽しみにしているよ。そしてもうひとつ題名に書いた「焼肉だいもん」ここにもラグビーつながりの仲間がいる。仲間が集まってくる。とっても大切な仲間だ。左の写真は俺のことを唯一呼び捨てにできる野田先輩とスクラムを一緒に組んでたタク、少し痩せたかな?野田先輩には感謝している。最初の試合で遠慮して参加を断っていた俺に「何やってんだ。試合しに来てんだろうッ!出ろ」と言って半ば強制的に試合に出させてくれた。
たぶんあの一言がなかったら俺は最後の最後で躊躇するような人間になっていたかもしれない。それはラグビーでもそうだし、仕事でもそうだろう。日本へ出張してたこの日、予定していた用事が急になくなってずっと気にしていた「焼肉だいもん」に行ってみることにした。Google Map をたよりに角を曲がると遠くに赤い提灯が見えた。あそこだと思って、入り口から店の中を覗くと先輩がいた。何と言う偶然か!一緒にいたのはジャカルタの鴨川さん!弾む会話の流れで渡部に電話をするとなんと大門にいると言う。偶然が偶然重なって貴重な再会だった。