SASEBO my home town

2年ぶりに実家のある佐世保に家族と一緒に帰省してきました。コロナ禍の厳しい状況でしたが GO TO キャンペーンを活用させて頂いた滞在先の尼崎から新幹線で博多へ移動してレンタカーで佐世保まで!宿泊先は市内のクインテッサホテル佐世保、とても快適なホテルでした。佐世保へお出かけの方にはおすすめです。
アイキャッチ画像は私が大好きな佐世保のスポット、九十九島が望める展望台です。夕日が沈むタイミングが行くと海の上にいくつも見える島の形とオレンジの光で改めて佐世保を実感できますよ。それから数年前に頂いたお札を納めに亀山八幡宮さんへ!、お札は毎年きちんとお返しして新しくするのが礼儀だそうです。お返しせずにずっと持っているとそこに邪気がたまるそうです。みなさんお気をつけくださいね。もう一つ、佐世保の素敵なスポーット、佐世保港です。私が最後に過ごした高校生の頃とは建物やその周りもすっかり様変わりしていて、えぇ〜これがあの佐世保かぁ?と驚きました。素敵になっていました。四ヶ町アーケードは健在でした。実は佐世保は五島列島から入ってくる鮮魚が安く食べられるんです。娘も美味しい美味しいと言ってパクパク食べていました。また帰ってくるからね。

My home town SASEBO.

 

アキさんと

久しぶりにアキさんと飲み会だった。長男のケンタとケンタの彼女も一緒に、途中から帰任が決まってる木原も合流してくれてとても楽しい時間だった。アキさんは、GaiWu Japanの創設者の一人だ。香港に住んで26年になるという。日本食材の輸入を手がけている。おそらく香港にある日本食レストランでアキさんのことを知らない人はいないだろう。この日も店長がわざわざ挨拶にきてくれて私にも「VIPカード」なるものを挨拶代わりに差し出してくれた。次回から10%割引だそうだ。息子はケンタとコウヘイ、長男のケンタは私の娘の英語の家庭教師をしてくれていた。毎週マンションに来てくれてプレイルームで英語でMathやMusicを教えてくれていた。その時もそうだったけど今も音楽活動を続けながらなんと本業は教師だ。弟のコウヘイは今は日本にいる。突然、結婚しましたと区役所の婚姻届けの受付の前で撮った写真を送ってきたそうだ。少し前に赤ちゃんも生まれてアキさんはおじいちゃんになった。ケンタもすでに一緒に住んでいる写真の娘と結婚すると言っていた。私が彼女に You sitll have option. Okay と言って笑ってくれた。優しそうな女の子だ。お幸せに!途中から合流した木原はGaiWuのチームメイトだ。来月、2年間の駐在勤務を勤め上げた日本に帰任する。2002年から香港、インド、シンガポール、そしてまた香港と海外を渡り歩いて帰任だ。お疲れさん。帰任まではまだ少し時間はあるし、また飲みに行く機会はあるだろう。元気で日本で出世して焼肉おごってくれ!

BRAAI. it’s Southafrican BBQ

久しぶりにルークに会った。試合の応援や練習の見学では会ったりしていたけど、こうしてゆっくりと話しをしながら会ったのは去年、一緒に焼肉を食べた以来だと思う。思った以上にデカくなっていた(笑今月26歳になる若者だ。ルークとの出会いがこのブログをスタートさせたきっかけなのだけれども、早いものだ。ルークとの奇跡の出会いはこちらからどうぞ:奇跡の出会い
ルークからはずっと家に遊びに来いと誘われていた。お互いのスケジュールをが合わずに延び延びになっていてやっと家にいくことが出来た。夕方、6時に駅で待ち合わせした。なんと買ったんだというHONDA 600ccにバイクで迎えにきてくれた。自分の車は今、点検に出しているそうだ。大きなバイクもルークが跨ると小さく可愛く見える。南アに住んでいた頃から乗っていたそうだ。それでもすごく丁寧にゆっくりと走ってくれた。30年以上ぶりに乗ったバイクは楽しくて嬉しい気持ちにさせてくれた。

ルークが借りている家は3階建ての2階と3階の広いベランダだ。インスタでみたことはあるベランダだったが実際に行ってみるとめちゃいいところだった。家の周りは森に囲まれているだけで近くのバス停まで歩くとなると15分以上はかかる場所だ。それでも26歳の若者が「静かでいいだろう」と納得したようにいう姿をみて私が持っていた20代の若者とは違った印象をもった。きっと自然が好きなんだろうなとそう思った。ベランダに置いてある大きなバーベキューセットに大きな袋から取り出した炭に着火剤で手際良く火をおこした。だんだんと炎が大きくなる。するとルークが手をコンロの上において1、2、3 と数えた。「HARU、(ルークは私のことをそう呼ぶ)知ってるか?」「何を?」と聞くと自慢げに「コンロの上に手を置いて1、2、3 と熱さを我慢できたら、火加減がいいという証拠なんだ。すぐに我慢できずに手を引っ込める時はまだ火が出来ていない証拠なのだそうだ。そしてもういちど手をコンロの上に掲げて、1、2、3 と数えて、パーフェクトといいながら大きな肉の塊を焼き始めた。南アでは「BRAAI」ブラーイと言うそうだ。週末になると家族や知人たちと長い時間をかけて話しをしたりラグビー中継をして過ごしていたそうだ。ビールを片手に肉の塊の焼き具合を確かめながらいろんな話をした。一緒に暮らしているパートナーのIshikaのこと、愛犬のBLUEを飼うことになった経緯などなど、最初会ったときは私の英語のレベルでは会話になっていなかったけど今日は会話できてるねと言って笑っていた。ルークは今、香港のナショナルチームのメンバーとして政府のコロナ対策の規制を守って練習を続けているそうだ。来港して8月で3年経つ、晴れてキャップを得る条件をクリアできることになる。頑張ってほしい。ルークと最初に会った時日本でプレイしたいんだという夢は今も心に持っている。Luke, there is nothing I can do for you. 私がそう言うと何とも言えない笑顔で何か言ったように見えたけど私にはよく聞き取れなかった。これからも応援していくつもりだ。頑張れルーク!秩父宮でトライを決めるまで!

近所を散歩してみました!

ふと思い立って近所を散歩して来ました。香港も4月30日から3日まで連休なんです。コロナウィルスの感染防止対策の最中ですが天気もいいので家の周りをあるいてみることにしました。今のマンションに住み始めて4年ほど経ちます。前から知ってはいたのですが、海が近いんです。それで行ってみることにしました。マンションと直結している駅の構内を抜けて目の前の道路を渡るとサイクリングロードが併走する遊歩道があります。その道を歩いていくと整備された海岸沿いの公園があります。多くの人がいます。ジョギングをする人、サイクリングを楽しむ人、岸壁から釣りをする人、みんなマスクをしていますが太陽の光を浴びてとても清々しい気持ちになります。中にはマスクを外している人もちらほら見えます。早く元の生活に戻れるといいですね。

Hand made PIZZA under the critical sitation of Coronavirus in Hong Kong

「Hand made PIZZA under the critical sitation of Coronavirus in Hong Kong」と、ながいタイトルですが、なんの事はなくて思い立ってピザを手作りしてみることにしました。私、学生時代は喫茶店のバイトと麻雀に明け暮れていました。昼ころ起きて溜まり場になっている喫茶店(サップという名前でした。30数年前の話です。当然もうお店はありません。)に行ってコーヒーを飲んでいるといつの間にか仲間が集まってきてお店の2階の雀荘で夕方まで打つのです。バイト先はこの溜まり場のサップの弟さんが店長のお店でした。ほぼ毎日にように夕方6時ころから深夜2時まで時給1050円で働いていました。学校も行かずに!授業は受けていませんでしたがこのお店で私は「社会を学ぶ」貴重な経験をしていたのかもしれません。お店は小田急線の読売ランド前駅からすぐのところにありました。毎晩、終電でいつも帰ってくる銀行員のサラリーマンの方や読売クラブのサッカー選手、読売交響楽団の方、俳優さんもたまに立ち寄ってくれたりしていました。バイト仲間との関係や社員として一緒に働いていた先輩(大学の先輩です)今は会うことも連絡することもないのですがふとどうしてるかなぁと思い出したりします。大学1年の終わりから卒業するまでやりました。その時に覚えたのが生ジュースの作り方、カレーの仕込み方、サンドウィッチ、オニオントースト、その中にピザのレシピもありました。この店では生地から作っていました。コーヒーとセットで700円だったと思います。前置きが長くなってしましましたが、ピサを作ってみようと思い立ったのです。

まず必要なのは、「ドライイースト」これがないと始まりません。少しワクワクしながら電車に乗ってCausewaybayのCitySupperに行ってみることにしました。コロナウィルスの対策制限があるはずなのですが午後の早い時間帯にも関わらず異様に買い物客で混み合っていました。強力粉や薄力粉が売られているコーナーに行ってみても、ケーキの材料のコーナーにもドライイーストが見当たりません。変だなぁと思いながら店員さんに聞いてみると「Sold out」とそっけない返事!OMG

まぁ売り切れなら仕方ないなぁと思いながら歩いてSOGO Hong Kongの食料品売り場に行ってみることにしました。ここも人で混み合っています。店員に聞いてみるとここも「Sold out」!コロナの影響で自宅でパンやケーキを作る人が増えているんやろかぁとひとり思いながら、どうするか考えて大古駅の日系スーパーに行って見ることにしました。この地域は香港の中でもずいぶん前から日本人が住んでいる地域で日系スーパーの「APITA」と「AEON」があります。期待をこめて帰り道方向だしと自分を慰めながら行って見ることにしました。結果、APITAにもAEONにも無し!家を出る時にときめいた昔を懐かしむピザ作りのワクワク感はすっかり消え失せました。実は電車にのる前に家の側のローカルのスーパーにも行って確かめていたので結局、City Supperの前に寄ったJasonも入れると香港のめぼしいスーパー6店舗を回って買えなかったのです。iPhoneのヘルスケアをみると9500歩を越していました。がっかりして家に戻ることにしました。念の為と思って家の最寄り駅について少し遠目にあるWelcomeというスーパーに行ってみることにしました。普段はほとんど使わないスーパーなので期待感もなく商品がありそうなあたりを探していると商品を配列している若い店員さんがいました。歩き回るのも嫌だったのでヤフーで検索したドライイーストの英語表示「Yeast」を見せると何も言わずの歩き出して棚の奥の方から一つだけ残っていた小さな箱を差し出してくれました。「あったぁ〜」心の中で叫びました。若い店員さんは無言でまた配列の作業に戻って行きました。間違いないよな?念の為箱の表示を何度も確認しました。レジに行って「HKD11.00(日本円で約150円位)」払ってウキウキ気分で家に戻りました。

夜、ビールとつまみでお腹を満たしたあとひとり楽しく生地作りに取り掛かりました。嫁さんが使っていた小さなTANITAの計量器を取り出してきて、ネットで強力粉と薄力粉の分量を確認しながら30数年前の記憶を頼りに大きなボウルで練り込んで行きます。表面がつやつやしてくるまで少しづつ水を加えながら力をいれて捏ねているとバイトしていた時の事を思い出しました。懐かし思い出です。楽しかったなぁ〜なんて思いながら。。。

今日、近くのスーパーでチーズとオイルサーディンを買って来ました。懐かしい思い出のピザです。今日本に帰省している嫁と娘が香港に戻って来たらもう一度作ってみようと思っています。

イースターホリデーの最終日に

香港は4月10日(金)から土日を挟んで13日(月)までイースター4連休でした。新型コロナの感染防止対策のため、4人以上の集まりが制限されていることもあって私は最初の3日間は外出することなく家でひとり寂しく過ごしていました。お昼過ぎにチームメイトから今日晩ご飯行きませんかと誘いのラインが入ってきた。即「よかよ」と九州弁で返事した。嬉しいじゃありませんか!チーム最年長の口だけ番長の私を飲みに行こうと誘ってくれる後輩たち。7時にSOHOにある知り合いのイタリアンバーにマスク姿で集合した。ラグビーの話しからちょっぴり仕事の話しや家族のこと、当然ながら女性関係の話も出るわ出るわ!お店を変えながらワイン4本とビール数杯、時間を忘れて楽しい時間でした。仲間っていいね。何者にも変えがたい宝物と改めて教えてくれたイースターの最終日でした。また誘ってね!

右の写真はランカイフォンという西洋人が多く集まる歓楽街です。普段なら朝方まで道路で飲み明かす人で溢れているのに流石にこの日は人もまばらで寂しさ感もありました。早く元の状況に戻ってほしいものです。頑張れ香港!頑張れ日本!頑張れ世界!

Tsim Sha Tsui. Today

昨日、会社の帰りに九龍側で一番賑やかなエリア「Tsim Sha Tsui」に用事で行ってきた。電車を降りて改札を抜けながら、やっぱりいつもより人が少ないなぁと思いながらA出口のエスカレータで地上へでた。出口の目の前は Nathan Road という九龍側を南北にとおる大通りだ。出口左手にはインド人向けの大きな協会がある。普段ならエスカレータを降りた目の前にも人がいて真っ直ぐにあるくのにイライラするような場所なのだが、今日は歩道には人影がまばらな状態だった。車道を行き交う車の数も格段に少なく見えた。A出口を右折してハーバーシティのほうへ歩いていく。この通りも普段なら真っ直ぐ歩くのにイライラするくらい人通りがあるのだけれど、流石に今日はスイスイと歩くことができる。いつもと違うのはスイスイ歩けることとすれ違う人たちがほぼ100パーセントに近いくらいマスクをしていることだ。香港のマスクは薄い水色か薄いグリーン、それから「黒」だ。最近はピンクと白も見かけるようになった。余談だけど、ついこの前までは逃亡犯条例に反対する人々に対して行政府は「マスク禁止令」を発令していたのだけれど、皮肉なものだ。今、外でマスクをしていないのはガタイのいい西洋人くらいだ(笑

予想はしていたけれど、東京オリンピックも正式に延期が決まった。ヨーロッパではパンデミック状態が拡大しているし、世界中が元の状態に一日でもはやく戻ることを願っています。

Discovery Bay でのひととき

ラグビーからちょっと離れて、ちょっと一息。今、香港の西側のディスカバリーベイという西洋人が多くするエリアに来ています。2008年が最初だったと思います。香港のセントラルピアからフェリーに乗って約30分程度です。フェリーから降りて歩いていると香港の街中とは少し違った雰囲気を感じることが出来ます。おそらくですが、以前はもっと西洋人が多かったのでしょう。でも今は香港人や中国人が多くいるように感じます。それでも気のせいかここに来ている人たちは、のんびりと時間を過ごしているように感じます。

今日は久しぶりにひとりで ZAKS に来てビールを飲みながらまったりしています。右手に広がる海、その先に見えるビーチにはバレーボールを楽しむ人が見えます。ちょっぴりカッコつけてテーブルでマックを開いて、さも何か気の利いたブログでも書いている人ふうな雰囲気を醸しだしながら、と一人で越に入っていると横から笑い声で聞こえてきて、見てみると娘のラグビーのチームメイトのお父さん、フランシスが笑ってました。Hi how are you? GENKI desuka? と声をかけてくる。一緒にいたローレンとその弟も一緒にパチリと記念撮影!

今、香港はコロナウィルスの対策強化でいろんな制限がなされている。政府関連の窓口は先週やっと再開されたばかりだ。公共施設については少しづつ再開されはじめたところだ。早く元の香港に戻ってほしいと願うばかりだ。

 

帰任、別れ

年度末の3月は駐在員にとっての帰任の時期だ。会社の命を受けてここ香港に赴任して来て任期を全うして帰任する。達成感や寂しさは人それぞれなんだろう。前職で駐在員としての、2010年の自分の帰任の時は不完全燃焼でしかなかったなぁ〜そんなことを思い出しながら。。。

チームの主力の一人、HO坂本が帰任する。今年の2019-2020シーズンは開幕時と同じタイミングで発生した逃亡犯条例に反対するデモの影響で前半戦の数試合が中止となったり、後半は新型コロナウィルスの対策のために市民活動が全面的な中止となってしまって、結局最終戦を残したまま終わりを迎えることになった。坂本はじめチームにとってもフラストレーションしか残らない中途半端なシーズンとなってしまった。こんな状況の中で帰任することになって心残りだったろうと思い図るばかりだ。さらに追い討ちをかけるように、20日過ぎの帰国を予定してのに日本政府のコロナ対策で帰国便を急に早めなければならなくなった。不運だ。

まぁ〜次は日本で会おう、坂本!それまで元気で

追記)コロナウィルスの影響を受ける中、有志による練習を実施!私は用事があって急いでグランドに向かったけどすでに時は遅し(><) 練習終えて帰ってくる仲間と合流!それでも久しぶりに会う仲間の顔は生き生きとして見えた。みんなに会えて良かった。元気をもらえた。仲間って本当にいいなぁと思えた、とても充実した日曜日でした。

お雛様

2年前、日本へ出張でいった時に娘へのお土産で買ってきた、小さな小さなお雛様です。何気なく立ち寄った雑貨屋にちょこんと飾られていました。目が止まってすぐに買いました。香港に戻ってお土産だよと言って渡した時に娘が喜んだのを覚えています。

今、娘は嫁と一緒に新型コロナウィルスを避けて日本に帰省中です。日本では嫁から久しぶりにお雛様を出したよと写真付きで連絡がありました。香港でも出してるよって同じように写真付きで返信したところでした。毎年必ずお雛様は箱から出してあげないと娘がお嫁さんにいけなくなると聞いたことがあります。新鮮な空気をすって心なしかいい顔しているように見えるでしょう?ラグビーとは関係ない日記ブログでしたぁ〜(ˆˆ)